フランス服飾芸術協会博物館の館長であったイボンヌ・デランドルは、“現在の服飾で後世に残すものはジーンズと《ビキニ》である。”と言われたという。(*1) その二十世紀も残り一年余りとなった。そこで、《ビキニ》がいかにして誕生したのか、諸説を紹介しながら、その真相に迫るのが本稿の主な目的である。
(*1)木村春生著『水着の文化史 源流から現代まで――西洋・日本』(現代創造社 1984年8月1日発行)、p.40より。ただし、詳細は不明。
《ビキニ》の誕生に関してはさまざまな説がある。たとえば、インターネット上でも以下のような説が日本語ページで紹介されている。
- Mizugi (http://www.ffortune.net/calen/bon/mizugi.htm)
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‥‥1954年マーシャル諸島のビキニ環礁でアメリカが水爆実験を行いました。この衝撃が世界をかけめぐっている中、フランスの発明家ルイ・ルアールは、彼がデザインした新しい水着に「ビキニ」の名前をつけることを思いつきました。これはこの水着は水爆クラスの衝撃のある新デザインです、というアピールでした。このビキニの水着は1967年に日本にもお目見えしました。‥‥
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- 7月5日 (http://www4.justnet.ne.jp/~virgil5/07/0705.htm)
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昭和21年の7月5日、世界で最初のビキニスタイルの水着が、フランスのデザイナー、ルイ・レアールにより発表された日。この水着が発表される少し前に発表された大胆カットの水着が“アトム(原子)”と呼ばれ世界で最小の水着として評判になっていました。それに対抗する為また、4日前にアメリカが原爆実験を行ったビキニ環礁からその名をとりました。
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- 7月5日 (http://www.jttk.zaq.ne.jp/baabj203/7-5.htm)
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1946(昭和21)年、フランスのルイ・レアールが、世界で最も小さい水着としてビキニスタイルの水着が発表しました。発表の4日前にアメリカが原爆実験を行なったビキニ環礁からその名前がとられました。
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- 日本人はビキニを着るな。 (http://www02.so-net.ne.jp/~ktsutsui/kayref1.htm)
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‥‥目端のきくデザイナー、ルイ・レアールは、ほとんど下着に色をつけただけという水着を考えだした。‥‥だが、名前が決まらなかった。何か一度聞いたら絶対忘れられない名前はないものか? そんなときに目に飛び込んできたのが、原爆実験に関する新聞記事だった。1946年7月1日、アメリカは戦後はじめて、平和時における核実験を行った。世界中のマスコミは非難や容認でハチの巣をつついたような騒ぎになったが、その核実験場としてのアメリカが指定したのが、中部太平洋ミクロネシア、マーシャル諸島の北西部、サンゴ礁が美しい「ビキニ島」だったのである。これだ! レアールは水着にビキニという名前を不謹慎にも付けることに決めた。そして、大々的なキャンペーンを始めたのである。パリの目抜き通りを、核実験場の名前をつけた下着まがいの水着を着て、トップモデルたちがパレードしたのだ。‥‥
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- acosis Newsletter 1998-07-28 (http://www.acosis.com/letter/special/1998-07-28/fyi/)
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‥‥第二次世界大戦が終わった翌年・1946年のパリがビキニ初登場の舞台です。かの地のルイ・レアールというデザイナーが、自由さを表した新モードとして、下着に色をつけただけのようなフォルムの水着を発表したのがはじまり。新モードにピッタリの名前に困ったレアール。ちょうど当時、アメリカの核実験場として物議をかもしていた美しいサンゴ礁の島が、有名なビキニ環礁でした。インスピレーションを得た彼は、その名をもらいうけて命名。‥‥
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- グラマーとビキニ (http://home.att.ne.jp/green/uej/kotoba/bikini.html)
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‥‥「1954年に第五福竜丸がマーシャル諸島ビキニ環礁沖で被曝した」との史実を習い、「ビキニ」環礁って一体どんなところだろう、との思いを巡らせませんでしたか?この連想は実は正しく、水着の「bikini(ビキニ)」の名はこの「Bikini(ビキニ)」環礁に由来します。とは言ってもマーシャル諸島の女性たちがビキニ風の服を着ていた、と言うわけではなく、初めてこの水着を見たフランス人が、そのあまりに「explosive(=爆発的な→激情的な)」なところから、1946年から原爆実験の行われているこの地の名前をつけたのだとか。‥‥
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- 「電磁波水着」について (http://www1.neweb.ne.jp/wa/firefly/ の中にあるも、URLは不定。)
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ビキニという水着がこの世に誕生したのは1946年のこと。フランスのデザイナー、ルイ・レアールによって考案されました。世界中の人々の眼を丸くさせた、その三角形の布が3枚で構成された水着。その名前の由来は、太平洋はビキニ環礁で行われた水爆実験にあやかったものですが、その「あやかり」の根源は今や謎となっています。青い海と白い珊瑚礁をイメージさせる「南の島」をイメージさせるのに、当時、水爆実験の舞台に使われたビキニ環礁がもっとも当時としてはポピュラーな地名と考えて名付けたのか、それとも世界中を震撼させた水爆実験の衝撃度をイメージした「ショッキング」さを強調する命名だったのか、そのあたりは不明なんだそうです。‥‥
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【注】これらは、現時点(1999年12月初)で掲載されていたものであり、その後、URLや内容が変更された可能性もある。/2000年5月29日更新。
これらに対して、代表的な百科事典では以下のような説が紹介されている。
- 『世界大百科事典』23、「ビキニ」項(平凡社、1988年4月28日初版、1995年印刷)
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ビキニ bikini
小型のブラジャーとショーツだけを着ける女性用の水着。肌の大部分が露出されるので、1947年にフランスに現れたとき、センセーションを巻き起こした。ビキニ島でのアメリカの水爆実験による衝撃とあいまって、ビキニと呼ばれるようになったといわれるが、実験は54年なので、この説はあたらない。また、フランスの技術者、ルイ・ルオール Louis Ruault が作り、特許をとって〈ビキニ〉の名で売り出したともいわれるが、語源、起源ともはっきりしていない。シチリアのモザイク(3〜5世紀)にはビキニ・スタイルと同様な下着姿の女性が描かれている。今日では、日光浴のためにも愛好され、世界的に普及している。
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※この項は池田孝江氏による。
細部には相反する情報も少なくないが、おおむね似通っている。ところが、ファンション関連の事典では、大きく異なる説が紹介されている。
- 田中千代著『新・田中千代 服飾事典』「水着」項、「水着/ビキニ」項および「デザイナー/ジャック・エイム」項(同文書院 1991年10月22日第1版第1刷発行/1996年3月6日第1版第5刷発行/1998年5月3日第1版新訂第1刷発行)
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みずぎ【水着】
‥‥1920年代後半には短いスカートのついた〈キルト式水着〉がみられ、1934年フランスのジャック・エイムがはじめてのツーピースの水着を発表すると、その数年後には〈ブラジャーとショート・パンツの二部式〉の水着があらわれている。こうした傾向に拍車をかけるように、裸体を賛美する風潮がさかんになり、第二次大戦後には極端に露出的な〈ビキニ・スタイル〉が人びとを驚かせ、さらに1964年にはアメリカのデザイナー、ルディ・ガーンリックによるブラジャーのない〈トップレス(topless)〉の水着が出現した。‥‥
ビキニ[Bikini]
小さなブラジャーとおへそがみえるほど短いパンツを組合わせたツー・ピース型の水着。フランスのデザイナー、ジャック・エイムによって1946年発表された。ちょうどその年行われたビキニ環礁での初めての原爆実験の強烈な印象と、裸体に近い露出過度な水着のショッキングな登場が合致して〈ビキニ〉と名づけられるようになったとも、また北太平洋マーシャル群島のビキニ島原住民の裸体に近い風俗に由来するともいわれる。米国では1960年代初頭まで一般の海岸では着用を禁止されていたという。また男性用のごく短く小さい水泳パンツのこともビキニという。
ジャック・エイム[Jacques Heim 1899〜1967]
パリのオート・クチュリエ。父のイジドール・エイムが1899年に開いたエイム毛皮店が初代である。ジャックは両親のこの店に勤めながらデッサンをしていたが、第一次大戦後当時全盛をきわめた立体派の画家ピカソ、レジェ、ドローネー、コクトーなどと親交を結び、大戦後の不安定な世情の中にあって芸術への関心をもち続けた。彼の個性的で幾何学的な裁断は、こうしたところからの影響とも考えられる。毛皮商にあきたらぬ彼はクチュリエとして立つことを決心し、その豊かな想像力と、よく切れる頭脳とでつぎつぎと斬新な仕事をみせ、やがてアメリカなど海外でも認められるようになった。1934年タヒチの民俗衣装パレオからヒントをえて、彼のつくったタヒチ調のプリント模様のツーピース型水着は革命的なものとして、またそれまで大衆的なものとしてオート・クチュールではとりあつかわれなかったコットンをはじめてサロンにとりあげたということでひじょうな話題をよんだ。また1945年にアトム(Atom)という名前のビキニ型水着を発表。1946年、ビキニ環礁での水爆実験の衝撃をうけて、アトムをビキニと名付けたものは、ビキニ・スーツ(水着)として1950年代に流行した。‥‥
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- ジョージナ・オハラ著 深井晃子訳『ファッション事典』「ビキニ」項および「エイム,ジャック」項(平凡社 1988年8月25日初版第1刷)
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ビキニ bikini
ツーピース水着の略称。ビキニは1946年フランスで、無名のデザイナー、ルイ・レアールと、すでに高い評価を得ていたジャック・エイムの2人のデザイナーにより同時に発表された。エイムは自分の作ったものを最初〈アトム〉と呼んだが、同年、アメリカが太平洋上のビキニ環礁で原子爆弾の試験投下を行ったことから、この水着を〈ビキニ〉と名づけ直した。初期のビキニは動物のモチーフや造花を付けたり、レース編みで作られたりした。ビキニは1950年代にすでにフランスで一般に広まっていたが、アメリカでは65年になるまで受け入れられなかった。70年代、極端にシンプルな〈ストリング・タイプ〉の新作があらわれた。これは、上はブラに似たトップと紐が付き、それを首まわりと背中で結び、下は2枚のごく小さい三角形の布をヒップの両脇にある紐で結ぶ形だった。
エイム,ジャック Jacques Heim 1899-1967
服飾デザイナー。パリ生れ。1923年、両親が1898年からはじめた毛皮商を継ぐ。この会社で女性用の服をデザインしていたが、1930年代に新しい会社を設立した。エイムは〈ビキニ〉を紹介し、広めたデザイナーの一人として知られる。‥‥
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結局、“いつ、誰が、どのようなデザインの水着を《ビキニ》と名付けたのか?”について、日本語で提供されている情報からでは、“不明!”とせざるを得ない状況にある。しかし、こういった情報が世界中のどこにも現存していないとは考えられない。そこで、インターネット上の外国語情報に目を転じてみると、これらの疑問に明確に答えてくれるページがいくつかみつかった。
【注】これらは、現時点(1999年12月初)で掲載されていたものであり、その後、URLや内容が変更された可能性もある。/2000年5月29日更新。
これらの外国語ページで紹介されている情報を総合すると、《ビキニ》誕生までの経緯は、およそ以下のようなものであったことがわかる。
- 1946年6月30日以前のある日(6月第2週ころと思われる)、カンヌのクチュリエ、ジャック・エイム(Jacques Heim)は、彼がデザインした新型ツーピース水着“Atome”のプロモーションを行なった。それは、水着のキャッチコピーを飛行機で空に書くというものであった。なお、そのコピーは、“Atome -- the world's smallest bathing suit.”(アトム -- 世界の最も小さい水着。)と英訳されるものだった。
- そのころ、パリの自動車エンジニアで、母親の下着会社を手伝っていたルイ・リード(Louis Reard / 厳密には Louis Réard だが、日本語表示モードでは化けるので用いない)は、自らが考案した新型水着のネーミングに悩んでいた。
- 1946年6月30日(日付変更線の関係で7月1日とする見方もある)、アメリカはビキニ環礁で戦後最初の核実験(原子爆弾の投下実験)を行ない、そのニュースが7月1日付の日本を含む各国の新聞で報じられた。
- ルイ・リードは、その報道から水着を《ビキニ》と命名。ジャック・エイムに対抗して、水着のキャッチコピーを飛行機で空に書かせた。なお、そのコピーは、“Bikini -- smaller than the smallest bathing suit in the world.”(ビキニ -- 世界で最も小さい水着よりも小さい。)と英訳されるものだった。
- 1946年7月5日、ルイ・リードは、パリのスイミング・プール“Molitor Pool”で水着の発表会を行なった。ちなみに、水着モデルには、全くなり手がなく、“Casino de Paris”でヌードダンサーをしていた“Micheline Bernardini”が起用された。そして、彼女の水着写真が新聞で報じられると50,000通ものファンレターが寄せられたという逸話が残っている。
こうして、《ビキニ》は誕生した。そして、1996年7月5日は《ビキニ》誕生50周年にあたり、日本ではあまり報じられなかったが、欧米各地ではイベントが開催された。上掲URLの外国語ページもそのイベントを踏まえて書かれたものである。
ここで、日本語で紹介されている上掲諸説の検証を試みる。
- 《ビキニ》の命名に関係するのはビキニ環礁での水爆実験(1954年に始まる)ではなく、原爆実験(1946年に始まる)である。
- 《ビキニ》の考案者ルイ・ルアール(「ルイ・リード」のほうがが広く用いられている)の当時の職業はデザイナーではなく、エンジニアであった。
- 水着モデルとなったのは、トップモデルではなく、ヌードダンサーであった。
- 初めてこの水着を見たフランス人が《ビキニ》と名づけたのではなく、《ビキニ》は登録商標であった。(*2)
(*2)『小学館 ロベール仏和大辞典』「bikini」項(1988年12月10日初版第1刷)によると、“商標”で1946年が初出であることがわかる。つまり、誰かが勝手に呼んだものが、一般に流布したのではなく、1946年にルイ・リードによって商標登録されたものと考えてよかろう。
このように、重要な情報が正しく伝えられていないことがわかる。特に、ジャック・エイムとルイ・リードの関係については、ルイ・リードがファッション畑の人物ではなかったため、ファッション関連の事典では、その名を見ることすらない。
さて、最後となったが、当時ジャック・エイムよって考案された“Atome”とルイ・リードによって考案された《ビキニ》とは、いかなるデザインの水着であったのだろうか? 残念ながら、前者については未だその写真を見いだせていないが、後者の写真は上掲の外国語ページなどにも掲載されている。それを見ると、もし、「この夏・水着の傾向と対策」であれば、“綿素材、ホルターネックの三角ブラとハイレグ・ボトム、英字新聞プリントのストリング・ビキニ”といったコメントを付けるような水着で、現在でも十分通用するデザインであった。
つまり、《ビキニ》はその誕生時点で、すでに完成されていたのである。