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この夏・水着の傾向と対策 雑感(4)


“ビキニ”誕生の謎を探る
kononatu@mail.goo.ne.jp
(1999.12.05 脱稿)
(2000.05.29 リンク更新)
(2000.11.02 メールアドレス変更)


 フランス服飾芸術協会博物館の館長であったイボンヌ・デランドルは、“現在の服飾で後世に残すものはジーンズとビキニである。”と言われたという。(*1) その二十世紀も残り一年余りとなった。そこで、ビキニがいかにして誕生したのか、諸説を紹介しながら、その真相に迫るのが本稿の主な目的である。
(*1)木村春生著『水着の文化史 源流から現代まで――西洋・日本』(現代創造社 1984年8月1日発行)、p.40より。ただし、詳細は不明。




 ビキニの誕生に関してはさまざまな説がある。たとえば、インターネット上でも以下のような説が日本語ページで紹介されている。

  【注】これらは、現時点(1999年12月初)で掲載されていたものであり、その後、URLや内容が変更された可能性もある。/2000年5月29日更新。


 これらに対して、代表的な百科事典では以下のような説が紹介されている。


 細部には相反する情報も少なくないが、おおむね似通っている。ところが、ファンション関連の事典では、大きく異なる説が紹介されている。


 結局、“いつ、誰が、どのようなデザインの水着をビキニと名付けたのか?”について、日本語で提供されている情報からでは、“不明!”とせざるを得ない状況にある。しかし、こういった情報が世界中のどこにも現存していないとは考えられない。そこで、インターネット上の外国語情報に目を転じてみると、これらの疑問に明確に答えてくれるページがいくつかみつかった。

  【注】これらは、現時点(1999年12月初)で掲載されていたものであり、その後、URLや内容が変更された可能性もある。/2000年5月29日更新。


 これらの外国語ページで紹介されている情報を総合すると、ビキニ誕生までの経緯は、およそ以下のようなものであったことがわかる。

  1. 1946年6月30日以前のある日(6月第2週ころと思われる)、カンヌのクチュリエ、ジャック・エイム(Jacques Heim)は、彼がデザインした新型ツーピース水着“Atome”のプロモーションを行なった。それは、水着のキャッチコピーを飛行機で空に書くというものであった。なお、そのコピーは、“Atome -- the world's smallest bathing suit.”(アトム -- 世界の最も小さい水着。)と英訳されるものだった。

  2. そのころ、パリの自動車エンジニアで、母親の下着会社を手伝っていたルイ・リード(Louis Reard / 厳密には Louis Réard だが、日本語表示モードでは化けるので用いない)は、自らが考案した新型水着のネーミングに悩んでいた。

  3. 1946年6月30日(日付変更線の関係で7月1日とする見方もある)、アメリカはビキニ環礁で戦後最初の核実験(原子爆弾の投下実験)を行ない、そのニュースが7月1日付の日本を含む各国の新聞で報じられた。

  4. ルイ・リードは、その報道から水着をビキニと命名。ジャック・エイムに対抗して、水着のキャッチコピーを飛行機で空に書かせた。なお、そのコピーは、“Bikini -- smaller than the smallest bathing suit in the world.”(ビキニ -- 世界で最も小さい水着よりも小さい。)と英訳されるものだった。

  5. 1946年7月5日、ルイ・リードは、パリのスイミング・プール“Molitor Pool”で水着の発表会を行なった。ちなみに、水着モデルには、全くなり手がなく、“Casino de Paris”でヌードダンサーをしていた“Micheline Bernardini”が起用された。そして、彼女の水着写真が新聞で報じられると50,000通ものファンレターが寄せられたという逸話が残っている。

 こうして、ビキニは誕生した。そして、1996年7月5日はビキニ誕生50周年にあたり、日本ではあまり報じられなかったが、欧米各地ではイベントが開催された。上掲URLの外国語ページもそのイベントを踏まえて書かれたものである。




 ここで、日本語で紹介されている上掲諸説の検証を試みる。

  1. ビキニの命名に関係するのはビキニ環礁での水爆実験(1954年に始まる)ではなく、原爆実験(1946年に始まる)である。

  2. ビキニの考案者ルイ・ルアール(「ルイ・リード」のほうがが広く用いられている)の当時の職業はデザイナーではなく、エンジニアであった。

  3. 水着モデルとなったのは、トップモデルではなく、ヌードダンサーであった。

  4. 初めてこの水着を見たフランス人がビキニと名づけたのではなく、ビキニは登録商標であった。(*2)
    (*2)『小学館 ロベール仏和大辞典』「bikini」項(1988年12月10日初版第1刷)によると、“商標”で1946年が初出であることがわかる。つまり、誰かが勝手に呼んだものが、一般に流布したのではなく、1946年にルイ・リードによって商標登録されたものと考えてよかろう。


 このように、重要な情報が正しく伝えられていないことがわかる。特に、ジャック・エイムとルイ・リードの関係については、ルイ・リードがファッション畑の人物ではなかったため、ファッション関連の事典では、その名を見ることすらない。

 さて、最後となったが、当時ジャック・エイムよって考案された“Atome”とルイ・リードによって考案されたビキニとは、いかなるデザインの水着であったのだろうか? 残念ながら、前者については未だその写真を見いだせていないが、後者の写真は上掲の外国語ページなどにも掲載されている。それを見ると、もし、「この夏・水着の傾向と対策」であれば、“綿素材、ホルターネック三角ブラハイレグ・ボトム、英字新聞プリントのストリング・ビキニ”といったコメントを付けるような水着で、現在でも十分通用するデザインであった。

 つまり、ビキニはその誕生時点で、すでに完成されていたのである。


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